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流れる血の意味

全てを失った時に、人はどうするか。

 

その時が、死と一致している時はまだ楽かもしれない。

 

生きなければいけない時がある。

 

死という選択肢の重要性。

 

生きるという選択肢の重要性。

 

死生観はここで意味を持つ。

 

それが、間違っていたとしてもだ。

 

 

unknown-world.hateblo.jp

 

望み

 

考える人はロダンが考えた。

 

以前別のブログで、動物の「剥製」は残酷だという記事を書いた。

では人間の剥製を作る人間はいるのかという疑問が残る。

 

人間は、法で守られている以上、剥製にはできない。

 

但し、これを未来にやるのが人間だ。

但し、それを禁じるのも人間だ。

但し、既に実は剥製にされた考える人がいる。

 

人は忘れ去られても剥製にはならない。

そう信じたい。

 

 

 

unknown-world.hateblo.jp

 

捨ててきた人形

それは動かない古い人形だ。

遠い昔、幼かった私は人形を捨てた。お婆ちゃんが作ってくれた、古い人形。

お気に入りの一つだったが、新しいおもちゃも増えていき、いつかその人形も影が薄くなっていった。

そのうち近所の公園に置いたままにして、無くしてしまった。

 

 

あの日公園に捨ててきてしまったはずなのに、帰省した家にそれは座っていた。

妙に私を引きつける力を持っているように思えた。

その瞳は少し色あせていたが、それでも私の魂を直視しているようだった。

その顔は優しく微笑みながらこちらを向き、まるで生きているかのような温もりを放っているのを感じた。

私は目をそらすことができず、その人形を見つめていたが、やがてトランス状態に引き込まれていくのがわかった。

 

(あなた…お婆ちゃん?お婆ちゃんなのね。)

 

私は大のお婆ちゃん子だった。

両親が共働きだったので、私はいつもお婆ちゃんと一緒にいた。

出かける時も、遊ぶ時も、ご飯を食べる時も。

 

昨年お婆ちゃんが亡くなってから、初めての帰省だった。

「仕事が忙しくて帰れないよ。」

と家族には話していたが、本当はお婆ちゃんがもういない事から逃げていただけだった。現実を認めたくないだけだった。

 

そして、この小さな人形が、ある種の守護者として私のもとに送られてきたのだという事に気づいた。

私はこの美しい人形に感謝し、まるでこの人形が私と私の家を守るために送られてきたかのような感覚を覚えた。

 

「お婆ちゃん、またよろしくね。」

 

 

同じ傘と同じ空と同じ日

「おかしいな。あの傘どこかで見たんだけどな。」
 
さとるは、独り言をつぶやいた。大きな交差点の赤信号で待っている向こう側の男の青い星の入った傘を見て思った。
 
灰色の空にどう見ても厚い雲雲が浮かぶ。
 
「すっかり忘れていた、今日はおれの誕生日だ。」
 
青信号になった。
 
一斉に交差点を挟んで、こちらからも向こうからも通行人の波が動き出す。
 
人の群れの中にいる向こうの男が、だんだんと近づいてくる。
 
自分と背丈と体型が似ている。
 
今すれ違う。
 
「あ、おれの持っている傘と同じ傘持っている。」
 
通り際に、向かい側の男がつぶやいた。
 
あまりにそっくりで、不思議なことがあるものだ。
 

 

貝の記憶

 

 

よく砂浜で貝殻を耳に当てて音を聞くというのがある。
 
海の音を聞くのだが、波の音はとても和やかだ。
 
寄せて返す波の音は海と風がある限り永遠に鳴りやむことが無い。
 
それと同じように、永遠に浮かばれない人間たちもいる。
 
時に海の波の音がそんなことを象徴するかの様に聞こえる。
 
海も別に神聖なものではない感覚がする。
 
 

 

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『死と乙女』 赤川次郎著を読んで。

 
『死と乙女』 赤川次郎
 
この物語は、少し変わった構成になっている。
物語のハイライトが文庫本で上段、下段と異なった展開になり、その後終わりは共通する。つまり、物語が起承転結において、先ず起が共通、承と転は二種類ずつ上下に異なる展開、そして、結が共通になっている。
 
徹頭徹尾興味深いのだが、全体像は檸檬のように胴が少しがっしりと太いという構成だ。
かなり前にこの物語を読んだ時に、面白いと思ったのだが、その当時小説を読むことがただ楽しみというだけだったので、この物語を深く考察することはできない。
 
自叙伝を書いて、出版するというのが一時期流行って今も需要が衰えない。
 
人間を書き換えるというのができるとしたら、それは起承転結の4要素の内の起と結、以外の2要素だ。
 
人間の出生に関しては誰も意図的に決めることはできない。それは一つ目の、人の人生100年時代の起にあたる。
 
自叙伝の執筆者は、この出生に関する始めの部分で、自分の物語を5W1Hを元に書きながら回想していくのだろう。
 
ある人は、昔のアルバムを見ながら。そして、ある人は、旧友と電話を片手に話しながら。また、ある人は、孫たちに伝えながら。
 
人間の成長に関しては誰も苦渋なしに描かれることはできない。それは二つ目の、人の人生の承にあたる。
 
このモノクロの学生時代は、誰もが痛い思いをする。
環境によって、性格までもが書き換えられる時期だ。
 
人間の転機に関しては誰もが何か大きな力を感じることなしに描かれることはできない。それは三つ目の、
人の人生の転にあたる。
 
これはさすがに人生終わったと思ったときに、思いもよらない一期一会がある。
この時、限界を感じている時に、この人はと思える人物に出会えるか否かで、幸せになるか不幸になるかが決まる。
 
人間の最期に関しては誰も意図的に決めることはできない。それは四つ目の、人の人生100年時代の結にあたる。
 
自叙伝の執筆者は、この最期に関する終わりの部分で、自分の物語を5W1Hを元に書きながら別れと旅立ちを意識する。
 
そんなで描かれた自叙伝は本屋に並ぶがいつか在庫がなくなる。
 
 
忘れ去られるのは、誰だって同じだろう。
 
人間が求めるもの、‘永遠‘とはそんな忘れ去られることに対する恐怖を克服するものだ。
 
ある本に載っていたが、小さく幼いころに遥かに高いところにある天井の黒いしみがある。
 
段々と、大人になるとその黒いしみが近くなる。
 
これが、加齢だ。
 

 

 

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